亀田興毅の世界戦を観て

怖い物知らずの少年が号泣した。
パフォーマンスでは無い、本当の少年の姿がそこにあった。
世界チャンピオンにふさわしい人格を備えろと言わんばかりの試合だった。
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はたして亀田選手の真の実力は?
作られたスターの感が強い選手に対する皮肉なコメントからうかがい知ることが出来る。
そして、日本を背負う選手なのに、その敗戦を望む声が大きいのも特徴だ。
それは何故だろう?
傲慢さは、その全てをスポイルする。
やはり、強い選手には品格が備わらなければならない事を皆が知っているからだ。
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ボクシングに限らず、最近の若い選手の言動にはガッカリする事が多い。
やはり、世界の舞台で戦う選手には、「格」と言う物が備わって居て欲しい。
唯一安心して見ていられるのは、柔道選手の振る舞いだけだ。
葉隠に「武士道においては傲慢なれ!」という言葉がある。
これは、傲慢さを推奨しているのではなく、傲慢になれるほどの自信を修練によって得ろと解釈する。
まさに、亀田のトレーニングは、あどけない少年を傲慢に変えるほどの物なのだろう。
でも、その先にある品格を手にしなければ、ただの荒くれ者だ。
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1回、ランダエタの右フックをまともに受けてダウン。
いきなり“本物のプロ”の洗礼を受けた。
亀田の表情から余裕と、いつものふてぶてしさが消えている。
11回にも左右の連打を受け、カウンターの左ストレートでぐらついた。
立っているのがやっとの状態だ。
ランダエタは「判定を聞いて、とても悲しくなった。亀田は良い点はないボクサー。いろいろ学ばないといけない」と話した。
そのとおりだ。
ボクシングを通して、映画スピリッツにある倫理観も学んで欲しい。

葉隠―武士道の神髄 葉隠―武士道の神髄
奈良本 辰也 (2006/01)
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「武士道とは死ぬことことと見つけたり」
という言葉が、あたかも武士道の神髄であるかのように受け取られている。
しかし、この本は実に説教じみた本なのだ。
そもそも藩内が、長い天下太平の江戸時代のおいて、惰性的となり、武士本来の倫理観が欠如してきたことを憂い、それを糺そうとして書いたものである。
面白い事に、「最近の若者は女っぽくてならん」なんて事も言っている。
先輩が見る若者像は、何時の世も同じなんだろう。

コメント

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    秩序とルール 
    ひそかに書き綴っている個人ブログに突然、いつもの3倍近い訪問者があり、驚いた。アクセス解析してみて、理由が分かった。大半が検索サイトからのアクセスで、その検索キーワードは「亀田 八百長」。過日のボクシング「亀田兄弟」の、どこか合点がいかなかった試合について触れた拙文の中にその2つの単語があり、それがヒットしていたのだ。つまり、ずいぶん多くの人々が同じ疑念を抱いた証左でもある。
     真偽は定かではない。「アヤシイ」と見る向きは、亀田の反則をレフリーが咎めなかったのは不公平だとか、ガードの甘い亀田に相手が一発のアッパーも打たなかったのは不自然だとか論(あげつら)う。他方、「それは素人の知ったかぶり。彼らの技術は高度で、確かなもの」と、プロとしてリングに立った経験がある弊社の某支社長は一笑に付す。
     ともあれ、タイトルマッチでもないこのクラスの試合に、周囲がこうも侃侃(かんかん)諤諤(がくがく)、騒がしいのは、その実力云々(うんぬん)以前の問題として、彼ら3兄弟の、派手で、人を食った日頃の言動やパフォーマンスに、そもそも好き嫌いの両論が分かれるからだろう。
     闘争心を高めるために選手が試合前、派手なパフォーマンスを見せることは格闘技では珍しくない。が、亀田3兄弟のような若者には、やはり若者らしい爽やかさを留めていてほしいと思う気持ちが、日本人の心の中にはまだあるということではないか。
     だから、怒っているのは亀田兄弟に対してではない。彼らに、度を越した言動を、許すというよりむしろ囃し立てることで、彼らを金儲けの道具に使っている大人に憤慨する。若者たちを、褒めて育てるならよいけれど、煽(おだ)てて育てたその結果、彼らにも間違いなく訪れるだろう挫折の時、大人は彼らの人生にどう責任を取るのだろうか。
     連休中に訪れたある地方都市は、たまたま、町全体が祭りの中にあった。法被に股引、地下足袋という祭装束の集団を各所で見かけた。驚いたのは、女性を含む若者たちの参加者がずいぶん多かったことだ。中には一見ヤンキー然とした若者も少なくなかった。が、これから町内に繰り出すのだろうか、世話役らしき年配者が「おい、用意しろよ」と声を掛けた途端、道に座り込み仲間同士でふざけ合っていた彼らは、「ハイッ!」という返事と同時に俊敏な動作で立ち上がり、各々の持ち場に散って行った。
     この町では、祭を通して、大人が若者たちに世の中の「秩序とルール」を教える仕組みが、出来上がっているのだと思う。そういう「社会」そして「会社」でありたい。

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