明治時代の復活品:有馬サイダー

地獄谷と呼ばれて恐れられていた谷がある。
そこの湧き出た水をいつしか毒水と呼ぶようになった。

きっと誰かを毒殺しようとしたのだろう。
でも、美味しかった(爆)

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さて・・・・


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かつて有馬温泉に人が立ち入らぬ所があった。町の南側、射場山と愛宕山の谷あいがそれで、通称“地獄谷”と呼ばれて恐れられていたようだ。射場山断層の割れ目からは炭酸ガスが吹き出し、その影響で岩肌は白っぽくなり、洞穴にはプクプクと奇妙な湯が湧いていた。その穴に鳥や虫が入ると、二酸化炭素中毒を発し、死ぬことから有馬の人々はそれを“鳥地獄”“虫地獄”と称し、その湧き出た水をいつしか毒水と呼ぶようになったのだ。
秀吉の治世、これに目をつけた者がいる。三田藩城主の山崎家盛だ。彼は毒水を炭酸水と見抜き、温泉場を造ろうとした。驚いたのは有馬の住民達。「毒水を使うとは恐ろしいことが起きる」と秀吉に直訴し、その工事を差し止めた。工事は中止したものの、家盛は怒り、住民達を皆殺しにしたとの話しまで残っている。
しかし、この毒水があるできごとをきっかけに脚光を集める。明治6年、湯山町町長の梶木源次郎が有馬の杉ケ谷に炭酸ガスを含む泉があることを聞く。梶木の記憶では杉ケ谷はかつて地獄谷と称された所、毒水と恐れられていた泉がそれにあたるのではと考え、兵庫県庁に調査を依頼した。内務省司薬場の検定により毒水が良質の炭酸水だと、この時、初めてわかったのである。
有馬には赤湯と呼ばれる塩化ナトリウム泉があり、これを金泉と呼ぶ。

 

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一方、この毒水が二酸化炭素冷鉱泉で通称、銀泉。この銀泉が見つかったことにより温泉ばかりでなく、土産物まで使われることになる。

 

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 炭酸水を使った有馬みやげとして有名なのが炭酸煎餅。これは明治40年頃、三津繁松が造り始め、次第に有馬の温泉街に広まっていく。

 

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 同じ頃、炭酸泉を使って日本初のサイダーが有馬で生まれる。そもそもサイダーは外国からの飲料だが、これを模して日本オリジナルのサイダーが有馬の地で造られた。
その起因は明治34年に誕生した「有馬鉱泉株式会社」の設立による。鳥居駒吉らが発起人となって作った同社はガス入りのミネラルウォーターを瓶詰めにし、外国へ輸出していた。炭酸泉の傍に瓶詰工場を造り、温泉を使って「炭酸鉄砲水」なる清涼飲料水を製造し、年間2.000?3.000箱も出荷していたようだ。
市場の評判も良かった同社が国内向けに生産した期待の新製品が“有馬サイダー”である。「有馬鉱泉」で造られていたガス入りのミネラルウォーターに香料や甘味を加えると美味しい飲料となる。これをサイダーとして発売。明治41年には本格的に製造を開始している。この有馬サイダーの発売に端を発して各地で近代産業の象徴としてサイダーが造られる。明治40年に設立された「帝国鉱泉」は、サイダーフレーバーエッセンスを輸入して三ツ矢印の「平野シャンペンサイダー」(三ツ矢サイダーのルーツ)を造っており、続く42年には「シトロン」というレモン系の炭酸飲料が登場、これを機に爆発的なヒットを飛ばしたようだ。

 

 

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こういった動きがあったからか、44年には他の鉱泉会社に対抗するために、イギリスから新式機械を購入し、大量生産を目指している。大正2年には大砲のデザインが入った角型のサイダーを発売。以後も「有馬シャンペンサイダー」「有馬ストロベリーポンズ」「鼓シトロン」など多くの種類を世に出している。しかし時代の波には勝てず、大正13年に「金泉飲料」に買収されたのをきっかけに翌14年に「日本麦酒鉱泉」に再度買収され、15年には川西市の平野に移され、有馬での製造は幕を閉じてしまった。
大正15年に幕を引いた有馬サイダーが復活したのは2002年秋のこと。当時、有馬の温泉宿「御所坊」の金井啓修さんや「有馬片山幹雄商店」の片山康博さんらは新しい有馬土産を作ろうと模索していた。そこで思いついたのが日本初のサイダーの復活である。昔ながらの味を出すために炭酸はキツめ、飲むと思わずゲップの出るものに仕上げた。昔風のイメージをつけるため「有馬八助商店」なる合資会社を設立、かつてのトレードマークの鉄砲を模したラベルをデザインし。「有馬サイダーてっぽう水」として有馬の町中で売り出したのである。


 全国から40年前の古い瓶を取り寄せラベルを貼って売るという力の入れよう。レトロ感あふれるサイダーは瞬く間に有馬の名物になった。
「旅館やお土産物屋で売っているんですが、好評ですね。古い瓶に入れているのでお土産物にする人も多いみたい。でもいずれ瓶が切れるのではと心配・・・」とは片山さんの弁。瓶の数に限度があるため、回収できなければ、また衰退の一途を辿る可能性もー。ともあれ、かつて杉ケ谷で湧き出た毒水が今では町おこしに一役かっている、とは不思議な話だ。
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ある時は「シトロンサイダー」と言う名前で売られていた。
その会社が「大日本麦酒」に買収され、大日本麦酒は第二次世界大戦後の財閥解体により「アサヒビール」と「サッポロビール」にわかれた。シトロンサイダーもアサヒは「三ツ矢サイダー」サッポロは「リボンシトロン」と言う名前でサイダーを売っていた。
その当時のビンを使って、サイダーよりもふるい名前。「鉄砲水」と言う名前で作った。鉄砲水とは炭酸水を一升瓶に入れて持ち帰るとき、鉄砲のようにコルクの栓が飛ぶ事から、そう呼ばれた。
「てっぽう水」は有馬市の関係店舗をはじめ有馬のあちこちで販売されている。
昔のサイダーのように飲むと「ゲップ」が出るほど炭酸がきついのが特徴。またビンのほとんどは三ツ矢サイダーなのだが、極まれに「リボンシトロン」も含まれている。

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