ここで初めて知った天竜川の玉石垣
それじゃ、確認してみよう。
そう思い立って、ナビをセット(^^)v
良い時代になったねぇ。
ついでに調べたら、お目当ての玉石積みとよばれる丸い河原石を用いた石垣の他、普通ひとつしかない大手門が、東西にあったのも特徴で、両頭の城といわれていたらしい。さらに、掛川城とは運河でつながっていて、船で直接行き来ができたのだと。
掛川城と横須賀城は、東海の拠点として太平洋岸を東西に分断する機能を備えていた。
さすが、5万5千石 譜代大名の居城(‾ー‾)ニヤリッ
さて・・・・
かっこいい!
本物は壮観だ。
この城は徳川家康が大須賀康高に命じて築いた城。
武田氏の高天神城に対抗するために築かれた。
その後280余年に渡り横須賀藩の中心であった横須賀城は、明治維新とともに廃城となる。
さらに明治6年には城内の土地、建物、石垣、樹木まで民間に払い下げられた。
おう、それで旧見付学校の石垣なんだ。
歴史が繋がった(^^)v
コメント