旧旅籠川坂屋は、東海道五十三次の25番目の宿場
日坂宿の一番西側にある旅籠屋
現在もなお江戸時代の面影を遺す数少ない建物のひとつ。
江戸より招いた棟梁の手で、精巧な木組みと細やかな格子が造作されていて、
身分の高い武士や公家などが宿泊した格の高い脇本陣格だったとされる。
十返舎一九や、西郷従道、山岡鉄舟などの書が残り、
建具の装飾に粋を凝らした影絵が素晴らしい( ̄ー ̄)ニヤリ
さて・・・
日坂地区まちづくり協議会の方に、説明をいただきながらのんびりと見学させてもらった。
西郷従道(元帥海軍大将:西郷隆盛の弟)の書
東海道線開通まえの視察で訪れたのだと。
江戸から大工を招いた。
隅々にほどこされる細工が秀逸
雨により大井川に足止めされることも多く、高名な人物は、宿泊代の替わりに書を寄贈
松竹梅の欄間には、江戸の粋が仕込まれていた。
山の合間から西日が差し込む
すると、室内からは見えない欄間内側に、綺麗な影絵が浮かびあがる。
時代が経ち、「おっ、気が付いたかい」と、棟梁のほくそ笑む姿に思いをはせる。
粋だねぇ~
泥棒除けの雨戸は、一人では決して外せない仕掛け。
茶室
文化2年(1805年)、掛川城主太田資順が市内の偕楽園に建てた由緒ある建物。
後に掛川城内に移され、明治元年(1868年)に川坂屋に譲られた。
床の間の壁は掛川特産の葛を使った「葛壁」で、床柱には大変珍しい「つつじ」の巨木が使われている。
江戸末期の1805年(文化2年)掛川藩が掛川偕楽園を造ったときの茶室の床柱が、水戸の好文亭茶室創建時と同じ薩摩の躑躅の古木を二分したもの。
水戸の床柱は、薩摩藩主島津斉彬公から寄贈されたとされる。
歴史に触れるのも、たまには良いね。
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