千鳥が羽を広げたような曲線の屋根を入母屋破風と言い、それが東西南北の四方に乗っていることから別名を千鳥城と呼ばれる。
松江城の歴史は、堀尾家の関ヶ原の戦功により浜松より出雲隠岐24万石加増移封から始まる。
その後、堀尾家2代、京極家1代の後、松江藩主となったのは、
真田丸攻めで初陣を飾った松平直政で、徳川家康と豊臣秀吉の孫にあたるのだと。
さて・・・・
ごぼう積みの石垣
松江城のみどころのひとつである石垣は、有名な石積み職人によって築かれた。
全体の6割を「打ち込み接ぎ」という崩れにくい石積み手法が使われ、400 年を経ても崩れず現存している。
入城して、最初に対面する大きな「井戸」
籠城戦を想定し、飲み水確保のための井戸を地階に設けたという築城戦略のひとつ。
天守内の井戸は名古屋城や浜松城にもあったが、現存しているのは松江城のみ。
現存する12天守の中で姫路城、松本城に次いで3番目の高さ、天守の総床面積は姫路城に次いで2番目の大きさ。
天守最上階は「天狗の間」と呼ばれ、室内には壁がなく城下町を360度展望できるつくり
宍道湖が一望できる
見ごたえのある、天守閣でした。
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